加藤 立Kato Ryu

加藤 立

加藤立
「Untitled Body(R・K)」 
2022年
175 x 68 x 53 cm 
ミクストメディア
撮影:加藤朝子

※画像と出品作品は異なる場合があります

Profileプロフィール

1979年 愛知県生まれ。2003年 東京芸術大学建築科卒業、現在東京在住。
日常の中の出来事を演劇的に捉え、パフォーマンスなどで作品化している。
主な出展・受賞に、2021年「第24回岡本太郎現代芸術賞」入選《鑑賞者》、2020年「遠い時間、近い時間 Aokid、加藤立、小林エリカ」(ギャラリーAL)、2019年「ゲンビどこでも企画公募」入選《I am a museum》(広島市現代美術館)、「アーツチャレンジ2019」(愛知県芸術文化センター)、2018年 六本木アートナイト2018公募プログラム《夜警》、2017年個展「A ONE AND A TWO. . .」、2016年スマートイルミネーション2016(象の鼻テラス)、SICF PLAY2016(スパイラル)、2015年 六本木アートナイト2015、個展「TODAY」(TRAUMARIS|SPACE)、2014年 MIDTOWN AWARD 2014準グランプリ受賞。

Statementステイトメント

作品は鏡であるから様々なものが映り込む。
まずは作者が映り込む。ゴッホの絵にはもう他のものが映り込む余地がないほど純度100パーのゴッホが映り込んでいる。
次に作品は鏡だから鑑賞者が映り込む。これは実は当然と言えば当然だけど、観ているときには案外気がつかない。例えば、映画や演劇の場合は観る席が決まっていて、2時間なら2時間ずっとそこで観るということになってるけれど、美術館やギャラリーで観る美術作品の場合には、どこでどのくらいの時間どの作品の鑑賞に費やすのかっていうことが、基本的にはすべて鑑賞者にゆだねられている。この差は大きい。特に、ビエンナーレとか、作者の渾身の作品ばかりが続いていく鑑賞ツアーともなれば、それらをひとつひとつ存分に観ていくわけにはどうしたっていかない。いつの間にやらスイスイと作品の間を駆け抜けている。
あなたが観ている作品とは、あなたが観たい作品のことで、そこにはあなたの興味や生活や性格やさらにはその時の気分までもが如実に反映されている。だから、作品鑑賞というのは、基本的にはひとりでいくものと思っていたが、そうともいえないのかもしれない。自分の食べたいものだけ食べ続けてるのは不健康だ。

そしてさらに、作品は鏡だから社会が映り込む。
この、社会を映し出す鏡であるという属性がアートをアートたらしめている。
次のように言い換えてもいいかもしれない。良い作品には社会が映り込んでしまう。
そう、良い作品には社会が映り込んでしまうのだ。そして、このことが、例えば何百年も昔の、ダヴィンチとかカラヴァッジョとかの聖母マリアだとかキリストの磔刑だとか、現代の極東に住む私たちにはなんの由縁もないように思える絵画の中にも何か訴えかけてくるものがある、その理由であろう。良い作品には、その作品がつくられた当時の社会が映り込んでいるだけでなく、鑑賞者が観ている現在の社会が映り込んでしまうのだ。

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